私事ですが(いや、いつもそうですね)
ここ数日相変わらずバタバタしておりましたが、
ちょっと心に残る出来事を。
って、一週間も書かないと絶対長くなるんだよな、すいません。
先日、友人が宮古島で企画展を予定している人の資料集め?のために
東京を訪れた。子どもの頃からよく遊んだ同級生で、
マイミクのcybele さんでもあるのですが。
その時の私の心境は、ここです。
http://www.melma.com/backnumber_33637_4612244/
その企画展の内容もそうですが、時代が私の今の自由研究の
ど真ん中になります。いわゆる近代です。
この時間はアップしてないのですが、どーぞ。
(たぶん皆さんが読む頃にはアップしてるだろう!)
http://akmiyako.ti-da.net/
で、その話をうちの第二学童でしていたら、
大手新聞記者のNママと盛り上がりました。
これも不思議な話でNママが取材に行っているネタとcybele さんが興味を持って
調べているネタと同じでした。
いわゆる戦前の沖縄の絵が東北にあるというのです。
戦火を免れて、いろいろな沖縄のかけらが全国には残っているのかもしれない。
で、次の日、あるママに誘われて、ケーブルテレビの撮影に行ってきました。
今までは私はスタッフ側としての立場に立ったことはあるのですが
出演者になったのははじめて。いろいろ勉強になりました。
近日中に詳細はわかると思うので、お知らせします。
でも絶対見ないで下さい。
(本気で言ってます、だって恥ずかしいさいがー←いきなり方言になる)
その撮影であるお寺に行ったのだが、不思議なことに
cybele さんらの企画展の人物の名前が入り口の石碑に!
ママ友にキャーキャーいいながら報告しました。
その人の名は下川凹天さん。
下川凹天さん(しもかわ/ほこてん)1892生まれ。
宮古島出身で日本で初めて商業用アニメーションを作った人と言われている。
彼の書き残したものを読むと、大げさで、変な人だなぁと思う。
マンガの世界は手塚治虫たちがその後に続く。その世界を切り拓いた人なのだ。
アップダウンの激しい人生。
今で言うところのリリーフランキーのような人かと思う。
(彼は落ちきっていないけど)
風刺漫画家としても一斉風靡した人。
晩年はパトロン宅で10年間を過ごした。浮世離れした芸術家だ。
しかしながら、彼の作品は私たちの生活のなかには、あまり残っていない。
残念だけど、そういう時代なんだとも思う。
撮影という事もあり、小一時間ほど滞在。
その間、住職とお話しする事ができて、なぜか画集まで頂いた。
そのうえにその凹天さんの名作と言われる掛け軸を
立ち入り禁止の展示場所まで連れて行って見せてくれた。
額縁入りの絵を「宮古に永久里帰りさせようか」とまで言っていただいた。
凹天さんが呼んでくれたんだろうか。
読んでいる皆さんが知っている通り、私は文化とか歴史とか
そういうものからかなり遠い人間なのですが、
こうして偶然にもすぐにいろんな人とつながる事ができる。
それは、本当にまさしく有り難いことで、言葉にする事がとても難しい。
ついでに今日は前に取材した砂川君という男の子とお茶をしてきた。
http://www.miyakomainichi.co.jp/modules/news/article.php?storyid=727
早稲田の教育学部のレポートかなんかでインタビューを受けて来たのですが。
前回、書いた宮古島での講演会でのお話をしていただいた一人でもある。
小さな種のようなことでも少しずつ地道にやっていけたらいいなぁと思う。
取材した時よりまた一回り大きく成長した宮古の若者を見るのは
おばさんとしてはなんか誇らしい。
講演会の後に、講演会に足を運んだ高校の先生らが
授業でこの話をしてまた輪が広がったという連絡もあった。
近日中にネットでも講演会の様子がアップされるらしい。
それもこれも、私のまわりの人の
「何か誰かのために少しでもお役にたてば」と思っている人達のおかげだ。
少しでもお返しをしていかなければと思う。
何ができるかなぁ。また考えよう!
やっぱり長くなりました。すみません!ほんとに…。
読んで下さった方、お疲れさまです!今度、何かお役に立ちます!
